独立・起業に向けて動き始めると、疑問が出てきます。
「未熟な私が、報酬をいただいてもよいのか」、もしくは「未熟な私が、プロと称してもよいのか」という疑問です。
これは、実は同じ問題です。実務上、プロというのは「価値提供の対価を得ることを公言して、はばからない人」だからです。
極論を言えば、技術の有無は関係がありません。それは覚悟の問題であり、責任の問題です。
【1】技術的に未熟でもよいのか
「自分の技術は未熟だが、報酬を得ても良いのか。」
この疑問が出てきたということは、独立・起業を現実問題として捉えはじめたということです。
ですから、喜ばしいことです。
でも、これは逆です。
未熟だからこそ、対価を得るべきなのです。
技術は、対価を得るからこそ、向上します。
無償でどれだけ技術提供をしても、技術の向上には限界があります。
私は22歳の開業当時、依頼が入るたびに吐き気を感じながら仕事をしていました。
それぐらいのプレッシャーを感じながら、仕事をしていました。
これは自営業者なら、多くの人が経験していることではないでしょうか。
無償なら、こんなプレッシャーはありません。
ですから、技術の向上には限界があるのです。
どれだけ仮免で教習所内をうまく走れても、一般道に出ないと技術の向上はありません。
未熟なら対価を得るべきなのです。
(もちろん、自分の技術向上のために顧客を取るのは、ダメに決まっています。責任を持って価値提供をする覚悟を決めろと言う意味です。)
【2】「プロ」と称することの意味
では、未熟だから対価を得るべきだとしても、プロと名乗るべきなのでしょうか。
私は、これは同じことだと思っています。
ちなみに、報酬を得るかどうかは、プロの基準にはしていません。
私にとってプロとは「価値提供の対価として報酬を得ると、公言して憚らない人」のことです。
私のサービスは有料だと公言できる人が、プロだということです。
実際に、報酬を得ているかどうかは関係ありません。
「私のサービスは有償である」と公言している人がプロです。
ですからもちろん、通常、対価を得てプロダクトを提供する人はプロです。
ですが、対価を得ていなくても、自分のサービスは有償だと公言したらプロなのです。
プロでも自分のサービスを無償で提供することはあります。
ですが、本来は有償であると公言しています。
「本来は無償ですがお気持ちがほしい」ではありません。
「本来は当然に有償ですが、今回は無償です」がプロです。
本来は有償であると公言することが、専門家としての最低限の責任の示し方です。
言い換えれば、プロだと称することがプロのスタートラインです。
逆に言えば、それさえもできない人はアマチュアです。
【3】「有償である」と公言することが、覚悟を示す
最終的には、プロかどうかを決めるのは覚悟です。
なぜなら、名乗るかどうか、だからです。
「自分の提供するプロダクトには、対価を払う価値があります」と公言できるかどうか。
それは言い換えれば、責任を取る覚悟があるかどうかです。
未熟だから対価を得てはならない、プロと称してはならないと決めることで、誰をまもろうとしているのでしょうか。
それは顧客ではないはずです。
もし本当に、顧客のために有償でするべきでないと思っているなら、そのレベルのサービス提供はするべきではありません。
無償だから責任を持たなくてよいということにはならないのです。
どんなサービスを提供してもよいということには、なりません。
まずは、あなたが自分の技術にどれだけ自信がなくても、まずは自分のサービスは有償であると公言するところから始めましょう。
それがプロとしてのスタートであり、かつ、プロとしての責任のスタートです。
それが自己の責任感の表明であり、覚悟の表明です。
自分の提供する価値は有償であると公言する、覚悟を持ちましょう。