「パワハラは甘えだ。自分達の時代は当たり前だった」という人たちがいる。
過去はうさぎ跳びが当たり前だったけれど、今はそれが身体にとってよくないこととされている。
パワハラも同じで、それはよくないことだと判明したから問題となっている。「甘え論」は単なる勉強不足。— 三國雅洋:パワハラ解決コンサルタント (@artof_challenge) November 14, 2017
世の中には「『パワハラ』なんていうのは、単なる甘えだ。自分達の時代は、そんなものは当たり前だった」と言う人がいます。
私からすると、それは単なる勉強不足です。
パワハラを肯定するのは、うさぎ跳びを肯定するのと同じで、ナンセンスなのです。
【1】パワハラは生産性を下げる
生産性を高めるカギは、「心理的安全性」にあるとされます。
グーグルが突きとめた!社員の「生産性」を高める唯一の方法はこうだ(小林 雅一)
パワハラはこの心理的安全性を奪うのですから、生産性を下げる行為です。
つまり、パワハラを肯定することは生産性を下げることを肯定することと同じです。
【2】無駄な努力をすることは、根性ではない
私たち世代は「うさぎ跳び」をさせられた世代です。
しかし、今はそのようなことはさせません。なぜなら、トレーニング効果が期待できないと分かったからです。
効果がないと分かった上でそれをすることを「努力」とは言いません。
継続したら効果があるのに続かないなら「根性がない」と言っていただいても構いませんが、パワハラはそういうものではありません。むしろ、会社の生産性を悪くするものです。
もしパワハラが会社の生産性を下げることを知らないのだとしたら、それは単なる勉強不足です。指導・教育者として勉強が足りません。
【3】パワハラと主張するのは、甘えではない。
厚労省の定義に該当する行為について、「パワハラだ」と主張するのは甘えではありません。
会社の生産性を下げる行為をなくすように求めるのは、会社にとって悪いことではありません。
むしろ、パワハラ加害者を放置している方が勉強不足であり、現状に甘えているのです。
ですから、「自分が甘えているだけだろうか?」と悩む必要はありません。
あなたは会社にとって不利益になることを取り除くように言っているだけであり、それはうさぎ跳びはトレーニングになりませんと言っているのと同じで、至極全うなことなのです。
冷静に、かつ、堂々と「それはパワハラです」と主張していきましょう。